壱話 【逢】






冬の雨は降れど降れど水ならぬ水晶の花
この白雪の花ならばなぐさむ方もあらましを
今日の花は陽に照らされば雨となりけり



「お客はんは、江戸の人どすか?」


「はい。京都には用事があって来たもので。」


濃紺の髪をした男は、その場に少しそぐわないほど爽やかな笑みを浮かべる。
齢は二十歳くらいだろうか。
青年は透き通るような翡翠の瞳に白い肌をしており、男なのに女子(おなご)に見違うような美しい容姿をしていた。
女将はそうどすかぁ、と愛想良く笑い、翡翠の瞳の機嫌を伺う。
しかし、実際に女将の瞳に映るのは彼の顔ではなく、その彼が持っていた刀であった。


女将は何十年もここの遊郭に出入りする武士を大勢見てきており、その豊富な経験から武士の刀を一目見ればその身分は一瞬で察しがついてしまった。
一重に武士と言っても、農家出身から名家の出身と身分は様々であるが、アスランの刀は有名な刀屋の紋が入っている

その刀屋の紋は代々有名な武家の家柄が好むものであり、その中でも特にご贔屓にしているのは、かの有名なザラ家だという。
この青年は、武士は武士でもただ者ではないと女将は睨み、そしてより一層女将の笑みは深くなるのだった。


「奇遇どすなぁ。あの子も江戸からやってきたんどすよ。」


アスランは目の前で舞を踊る遊女に視線をやると、凛とした琥珀の瞳が射抜くようにこちらを見ていた。
雪のように白い肌、朱色の紅に染まった唇、闇夜でも輝くような黄金の髪。
三味線の音に紛れては、着物の裾を引きずる衣擦れの音がし、指先まで上品で優雅な立ち振る舞いは、まるで闇夜に舞う優雅な蝶のように美しかった。


「あんたも、こっちにおいでやす。」


女将さんの呼び声で、三味線の音が止まる。
彼女はゆっくりと舞を止めて着物を静かに翻すとアスランの傍までやってきた。


「お客はん、この子が江戸からやってきた子どすよ。」


黄金の髪をした女は、指先をピンと伸ばした。
そうして、時をゆっくりと泳がすように上品な動作でアスランの前で頭を下げた。 


「お初にお目にかかります。カガリと申します。」


アスランは遊女を幾人も見てきたが、それでも目の前の遊女を見て息を飲む。
目の前の彼女は、清く美しく、生まれたときから気品溢れた華のようだった。
太夫(遊女の内で最高位)の遊女でさえ、美しい身のこなしをしても、傲慢さや、自惚れが匂ってしまう。
それなのに、彼女からはそういうものが一切感じない。


カガリが顔をゆっくり上げると、翡翠と琥珀の瞳が絡み合い合い、カガリはふっとアスランに微笑み掛け、それにつられるようにアスランも笑みを零す。


「カガリとは、篝火の篝ですね。素敵な源氏名だ。」


「ありがとうございます。しかし、これは源氏名ではございません。私の本名でございます。」


美しい笑みを浮かべながら話すカガリとは対照的に、アスランは奇妙だというように瞳を細めた。

「珍しいですね。源氏名での仕事はあまり縁起が良くないと聞きますが。」


しかし、カガリはそう聞かれるのがわかっていたかのように、背筋をピンと伸ばし、ゆっくりと口を開いた。


「私は身一つで京の都までやって参りました。唯一、持参したのは自分の名だけです。その名を捨てられれば、私は何も残りません。」


「両親は?」


「戦に巻き込まれ死にました。」


アスランは、思わず言葉を失った。
ここは遊郭だ。
戦で家族を亡くしたり、貧しい農家で両親が餓死して、生活の為に身売りするのは全く珍しくないし、アスランもそういう遊女達を何人も見てきている。
しかし、アスランの前で瞳を見据え、こんなに気品が溢れた美しい人に、暗い過去があるとは俄に信じ難かった。


「それは……とても…お辛かったですね。」


傍から見れば、アスランの放った言葉は心の底から心配しているように見える。
しかし、それは触れてはいけない、琴線を弾いてしまったように、カガリの美しい微笑は瞬く間に消えていった。


「あなたはお侍さんではないのですか?」


「はぁ、そうですが。」


それが何か、とアスランがきょとんとした顔で言うと、カガリは一瞬奥歯を噛み締めるような苦い顔をしたが、すぐに遊女らしい妖艶な笑みに切り替わる。


「面白いお侍さんですね。」


カガリは着物の袖を口元に隠して、クスクスと笑う。


「お侍さんは戦が大好きな生き物だと、存じてますが。」


物腰こそ柔らかに言葉を着飾っているが、その言葉の真意はとても挑戦的だった。
今まで愛想笑いを浮かべ隣で聞いていた女将さんの顔が真っ青になってしまうが、カガリはそんなことに臆することもなく、凛とした獅子のような視線をアスランに送る。
上客を怒らすわけにはいかないと、女将は慌ててこんなカガリを部屋から下がらそうとしたが、アスランがそれを制止した。


「女将さん、いいですよ。私は彼女を気に入った。」


にこやかに言う青年に、女将さんもホッと肩を撫で下ろし部屋を出て行った。



カガリは女将の代わりに、アスランの隣に付いて釈をする。
カガリはやはり黙っていれば一輪の花のように美しく、先程垣間見られた挑戦的な言葉や眼差しすらその美貌に飲み込まれていってしまう。
しかし、アスランは、彼女の表面的に流れる気品さよりも、その奥に潜む獅子のような強い眼差しの方が面白いと感じていた。


「あなたは武士がお嫌いなのですか?」


アスランはふと気になっていたことを訊ねてみた。
先程、自分が武士だということに反応していたので、また武士について触れれば、彼女の笑顔はぽろりと剥れ落ちるるような気がしたのだ。
美しく笑う彼女も素敵だが、それがもし彼女の仮面だとするならば、それを剥がしてみたいとアスランは思った。


「そんなのあなた様の前では言えません。」


アスランは、彼女がどう切り返すのか気になったが、カガリはただ美しい笑みを浮かべるだけだった。


「何故(なにゆえ)ですか?」


引き下がらないアスランに、カガリは口元を艶然と吊り上げると可笑しそうな笑みを零す。
アスランが美麗な眉を顰めると、すぐさまカガリは上品な笑みに切り替え、目の前の彼の瞳をじっと見つめて、柔らかに言った。

 
「刀を指したあなた様の前で、お侍さんを嫌という女子(おなご)がこの世のどこに居ると言うのでしょうか。」


遠回しに否定されたな、アスランはふっと微笑む。
目の前の女は遊女といえど、賢い女性だ。
彼女の笑みは美しさだけではない、何か違う色が見え隠れする。


「それは最もですね。すみません。では質問を変えましょう。君は戦をどう思いますか?」


カガリは黙り込んだ。

両親が戦で亡くなったという話を聞いた後で、この話題は避けるべきだったかとアスランの脳裏に過ぎったが、そんな考えを裏切るようにカガリはアスランの掌を繊細な手つきでやんわりと撫でる。
彼女の指先は、雪のように冷たかった。


「アスラン様、私は色売る女でございます。戦など難しいこと、私にはわかりません。」


そう言って、彼女は立ち上がると隅に待機していた人間に合図をし、三味線から唄うように音色が流れた。


「もう一度、舞を踊って見せましょう。」


彼女は三味線の音と共に流れるよう優雅に舞う。
肩透かしを食らったアスランは、酒を飲む手も止めてカガリの揺らめく蝶の舞を呆然と見つめていた。
彼女の舞は、どこか儚げで一種の神秘的な雰囲気を醸し出している。
ついつい先程のことも
忘れてアスランはその空気に飲み込まれていくが、カガリはそんなアスランに向けて、妖艶に微笑んだ。
喰えない女だ、とアスランは笑みを零し、もう一度酒に手をつけた。

































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