弐話【遭遇】





闇夜に浮かぶ白い月は、紅い血が流れるのを見た。
男は気配を消して相手に近付くと、一瞬の隙も与えず、刀を振りかざす。
相手が気付いたときには、時すでに遅く、くぐもった声を上げて倒れ、地面に蹲った。
それでも最後の力を振り絞り、相手の顔を見ようとすると、相手は感情が消えた瞳で静かにこちらを見下ろしていた。
それは恐ろしいほど美しい、透き通った翡翠の瞳だった。  








昼の京都は人で賑わう。
その一角にある客少ない甘味処に、アスランは浅黒い肌をした武士と一緒にいた。


「アスラン、昨夜は見事だった。他の奴等も喜んでたよ。」


ディアッカの言葉に、
アスランは顔色一つ変えず冷静な面持ちで言葉を返す


「イザークを除いてな。」


ディアッカは今朝のこと思い出しては、苦く笑ってしまう。
朝方、暗殺の任務が完了した旨の報告書が届くと、イザークは綺麗に切り揃えられた髪を怒り狂って振り乱していた。
もちろん、その宥め役は毎回ディアッカだ。


「今朝は疲れたよ。まぁ、イザークの気持ちもわからなくないけどな。元々、京都の守備はこっちの役割なのに、幹部はわざわざ江戸の人間のお前を呼んだりしてさ。しかも、お前の役割は元々イザークのものだし。」


「イザークの性格は暗殺向きじゃない。あいつは気が短すぎる。」


冷静な表情で、さらりと残酷なことを告げるアスランに、もしイザークが聞いたら怒り狂うだろうなと、ディアッカは苦笑した。








「……ところで」


ディアッカは周囲の目を気にしながら、急に声のトーンを落とした。


「幕府の要人暗殺を目論む下手人達が、裏で組織を作ってるみたいなんだが。」


急に変わったディアッカの真剣な顔付きに、アスランは鋭い視線を送る。


「長州派か?」


「いや、そんな大袈裟なもんでもねぇ。人数は少ない。大方、政府に不満を持つ奴等が集まっただけだろ。」


アスランは眉を顰めた。
アスランやディアッカ達の剣の腕は一流である。
このご時勢だ。政府を恨んでいる組織なんて、この国には数え切れないほどいる。
それを一々潰していくのは不可能だし、組織が小さければ小さいほど、それは自分達がやる仕事ではない。
そんなアスランの気持ちを汲み取るかのように、ディアッカは言葉を付け足す。


「人数は少ない……が、これが中々厄介でさ。」


「厄介?」


アスランは眉を顰めて聞き返す。


「名はわからないが、最近裏の世界で騒がしている武士がいるんだよ。容赦なく人を次々と殺していき、仲間の武士も何人かこいつにやられた。まるで鬼のようだよ。噂で聞く限り齢(よわい)はまだ十八だとか。恐らくそいつもこの組織に絡んでる。」


溜め息混じりに告げるディアッカに対し、アスランはふっと、微笑んだ。


「ディアッカ、俺を誰だと思ってる?」


「え?」


「俺がこの世で殺せない人間なんていない。」


強く言い放つアスランにディアッカは溜め息を吐いた。
こういう負けず嫌いなところは、イザークそっくりだとディアッカは思う。


「それで今夜、お前にはまた任務を行ってもらう。もちろん標的はその武士だ。店から出てきたところを尾行した後、人気の少ないところで静かに殺れ。」


「場所は?」


「祇園にある遊郭、櫻舞屋だ。」


アスランは目を見開いた。そこはカガリが働く店だった。そして、隣にいる友人を疑わしい顔でじっと見つめる。


「お前…仕組んだな。」


「ん?何が?」


「先日、お前に連れて行かれた遊郭が櫻舞屋だったじゃないか。」


「あれ?そうだっけ?」


白々しくとぼけた表情を浮かべるディアッカに、アスランは睨む。


「俺を無理矢理連れてったあげく、向こうに着いたらお前は俺を残してさっさと馴染みの遊女の部屋に行っただろ。俺が遊郭嫌いなの知ってるくせに。」


「わりぃ、わりぃ。でも任務の前に偵察するのも、俺等の仕事だろ?」


「その割に、ミリアリアとかいう遊女に鼻を伸ばしてくっついて行ったのはどこの誰だ。」


ディアッカは軽い調子で、笑って誤魔化した。
アスランはそんなディアッカの態度に溜め息を吐く。


「まぁ、いいじゃん?お前、あれから何度かその店に通ってるんだし。」


「おま……!何故知っている?!」


アスランは瞳を見開くと、柄にもなく頬を紅く染め、その様子にディアッカはにんまりと笑った。


「ミリィから聞いたんだよ。その子すげー可愛いらしいじゃん。何て名だっけ?」


「お前には関係ない。」


きっぱり告げるアスランに、ディアッカはニヤニヤとした顔でハイハイと流すように返事をした。










その夜、アスランはディアッカに言われた通り、行動に移した。
月が照らす祇園の町は昼間よりも賑やかだ。
道行く途中で、人混みの中に紛れていた監察係の者から、相手の特徴が書かれた密書を渡された。
アスランはその内容を頭に植えつけると櫻舞屋の前まで行く。
いつもならこのまま店の暖簾を潜るが、今日は近くにある屋台の影に隠れて男が出て来るのを待った。
暫くして、そこから密書に書かれていた特長によく似た男が頭に手拭いを被りながら出て来た。


こいつ……が……?


アスランは少し驚いた。
これが、あの恐ろしいと呼ばれている武士なのか…?
手拭いをしているため、顔がはっきりと見えないが、アスランの瞳からは、どこにもいそうな普通の少年に見える。
これでたくさんの人を殺めてきたとは思えない。
でも自分の仲間のニコルも、穏やかな顔をしていても、やるときはやる優秀な武士だ。
表面だけで囚われてはいけない、自分の仕事はいつだって人間の命が掛かっている。
油断すれば自分が命を落としかねないのだ。



アスランはもう一度気を引き締め、男にバレないよう気配を消しながら賑やかな花街を歩き続けた。
男は真っ直ぐに歩き、遊郭と普通の人々が暮らす街を区切る大門を出て、人混みを掻き分けて細い道を何度も曲がる。
暫くすると、周囲は静かな暗い道に出て、前を歩く男は、暢気に鼻歌を歌い出した。
アスランはやはり、人を間違えたかと疑う。
アスランは訓練のおかげで尾行するのに慣れているが、それでも優秀な武士ならばそろそろ気付いてもいいはずだ。
武士が一番反応するのは、どんなときだって相手の殺気だ。
腕の立つ武士が、それに気付かないわけがない。
いや、それとも気付いてない演技をしているのか……。


アスランは色々な考えを巡らせるが、どっちにしても自分はこの男を殺さなければいけないと考え直す。
それならタイミングは今だ。





アスランは静かに距離を縮め、ある程度の距離までやってくると刀の鞘に手を掛けて相手に立ち向かった。
ようやく相手は気付き、振り返ると同時に相手も鞘から刀を抜き出す。
一秒遅ければ命取りになりかねない、相手は瞬時にアスランの刀を止めた。


「………!」


自分の刀を一瞬の動作で止めた。
この反射神経、やはり只者ではない。
確かに厄介そうな男だと、アスランは舌打ちをする。
アスランが次の出方を考えながら懐を見ると、そこには隙があった。
やはり、自分に勝る人間なんていないのだとアスランはほくそ笑み、もう一度、刀を振りかざそうとした。
しかし、そのとき……


「やっ…!」


男は急に甲高い声を上げた。
いや、男ではない。その声の色は……


「お……女…?」


アスランは驚きのあまり戦力が失せ、刀を下ろす。
そよ風が吹いた。
道草が揺れ、手拭いがはらりと舞い落ちると、相手の顔が現れる。
アスランは相手の顔を見ようと、月明かりが照らす場所までゆっくり近付き、言葉を失った。





「……ま……まさか……!」





アスランは目の前の現実が信じらず、大きく目を見開いた。
その顔は、青白く月に照らされる。








「カ……カガリ……」









アスランの声は、夜の闇にかき消される。
月の光に照らされたカガリが、強い視線をこちらに向けて立っていた。





















































inserted by FC2 system