夜の闇は人の姿を消す。
敵はもう既にその場にはいなかった。
アスランはカガリが倒れたのを見やると、それを抱きかかえる。
白い月に照らされたカガリの顔は青く光るが、傷一つなかった。





四話 解読







カガリは額に触れる感触に、薄く瞳を開ける。
朦朧とした意識の中、濁ったものが透明に吸い込まれるように、目の前の景色がはっきりと明確な形になって姿を現した。



「あ、起きた?」



少しづつはっきりと浮かび上がる目の前に、茶色の髪をしたよく知る顔がある。
働かない頭で、カガリはたどたどしい口調で目の前の人物を呟く。



「ミ……ミリィ……?」



ぼんやりとした瞳を向けるカガリに、ミリアリアは優しくカガリに微笑む。



「目が覚めてよかったわ。昨夜ここに戻ってきたときは気を失ってたから。」


「……え?」



カガリは働かない頭を必死に奮い立たせて、記憶の糸を昨夜に辿る。
確か自分は一人夜道を歩いていた。
そして突然アスランに襲われて……それで……。



「私……死んだはずじゃ……?」



カガリは混乱する思考から、縋るようにミリアリアをじっと見つめる。
ミリアリアは何も言わず、カガリを落ち着かせるように柔らかく微笑んだ。









* * * *








「京都での初仕事は、中々幸先の良いスタートなようだな。アスラン。」


スカイブルーの瞳が、楽しげな視線をアスランに送る。


「下手人を取り間違えた挙句、わざわざ目の前に姿を現してくれた下手人すら取り逃すとは、流石江戸で無敵と称された武士はやることが違う!」


笑いながら話すイザークに、アスランは何も反応せず、開かれた障子の向こうに見える庭の池に視線を向けていた。
ここは、ザラの京都組屯所にある一室。
表向きは武士の名家として有名なザラ家も、裏では幕府の要人と繋がっており、そこから秘密裏に密偵、暗殺などを任されるというもう一つの顔を持っていた。
その内、京都組は全国各地にあるザラの屯所の中でも、江戸に続く勢力がある部隊である。


「でも、今回は下手人に関する情報があまりにも少なすぎたわけだし、今回の責任はアスランだけとは言えないんじゃないか?」


ディアッカが、軽い調子で銀髪の友人を宥める。


「甘いな、ディアッカ。うちの部隊でも、もう幾人もその下手人にやられてる。それを見逃すと、今度はまたいつ襲撃されるかわからないぞ。」


「そのことなんだが……」


黙り続けていたアスランが、重い口を開ける。
イザークとディアッカの視線が同時こちらに向けられるのを感じながら、今まで持っていた疑問をアスランは投げかける。


「俺が昨夜見たところ、そいつは確かに腕の立つ武士だが、人を殺す奴には見えない。」


真剣な面持ちで何を語り出すかと思えば、あまりにも拍子抜けるアスランの発言に、イザークは鼻で笑った。


「はっ!人を殺すようには見えない!……笑ってしまうな!だからお前は取り逃したと、そんな言い訳が通じるほど世の中は……」


「そうじゃない。」


イザークが最後まで言う前に、アスランはそれを打ち切る。
ムッ、とした表情で眉を顰めるイザークを無視して、アスランは言葉を続ける。


「うちの組織で、その下手人に殺された奴の人数はいくつだ?」


「いや、まだ殺された奴は出てないはずだ。ただ戦いで負った強い打撲や脳震盪で、倒れた奴なら大勢いるが。」


「……やはり、そうか。」


アスランは難しい顔で溜め息を吐くと、眉間に皺を寄せる。
一拍置いてから、アスランは淡々と進める。


「俺が見たところ、あの間合いの取り方、剣の流し方から言って、峰打ちを得意とする武士だ。」


「峰打ち?!」


「峰打ちって、普通に斬りつける振りをしながら、直前に反対側に持ち構えて、峰の部分で叩いて敵を気絶させる技だろ?」


ディアッカの言葉にアスランは頷く。


「あぁ、実戦でそれをやる武士は珍しい。」


「……貴様は、それが何だって言うんだ?」


黙って聞いていたイザークが、アスランの話にイライラとした表情を浮かべた。
アスランは、それに動じず話を進める。


「峰打ちは、相手に斬られたと心理的ダメージを与えることで相手を気絶させることができるが、本来の目的は気絶させるところじゃない。ほとんど傷を付けず、戦いを終わらすことができるところの一点だ。」


アスランの説明を隣で聞いていたイザークが、峰打ちについて口を挟む。


「しかし、あれは気合術にも似ていて、力の加減が非常に難しい。かなり訓練を積まなければ出来ないはずだぞ。」


「あー直前に力を持ち返るから、力の加減が難しいって言うよなぁ。」


イザークの言葉に頷くディアッカに対し、アスランは眉を顰めた。


「だから、そこが妙なんだよ。わざと人を殺さないテロリストだなんて、少し変だと思わないか?一部の人間が打撲で倒れたくらいじゃ、政府には痛くも痒くも無い。実力があるのに、効果もないやり方でテロを行うのは、何か理由がありはずだ。」


「それで……貴様の考えは?」


「……多分、俺の勘が当たっているなら、今回の下手人の件はオーブ派が一枚噛んでる。」


「……まさか!そ、そんなわけが!」


アスランの言葉にイザークの瞳が動揺でひどく揺れる。
しかし、ディアッカは全く話についていけず、一人きょとんとした表情をしている。


「おいおい、待てよ。それがどうしたって言うんだよ?オーブ派って何者だ?」


アスランはディアッカに呆れた視線を送る。


「ディアッカ……お前は春画本ばかり見てないで、普通の本も読め。武士だからって、学問を怠るな。」


「いや、俺もオーブなら知ってるさ。だけどオーブの土地は、もうなくなったはずじゃなかったっけ?」


「あぁ、今は民衆支配の手段としてキリスト教と共に、女神を司るハウメア教も弾圧されているが、キリスト教は鎖国という手で弾圧できた一方、ハウメア教は、オーブの宗教だから国内にある土地の宗教で鎖国という手段では封じ込むことができなかったんだ。それで政府が下した秘密裏で下した命令は……。」


アスランは、そこから言いにくそうに一瞬間を空ける。


「……オーブの大名殺害だ。」


部屋に重たい沈黙が流れる。
オーブ大名の殺害は、アスラン達の組織が関わっていたものだった。
まだ三人が正式に所属する前だったが、それでもこの話題は組織内ではタブーとされている。
オーブ大名の殺害は、そもそも組織内でも意見が肯定派と否定派で分かれており、そのときは秘密裏の任務ということで公に揉めることも出来ず、うやむやのまま終わった。


「オーブ大名は、あくまで平和主義者だった。その為、オーブの家臣は皆訓練で、峰打ちをやらされたという記録がいくつかの文献に残されている。逆に言えば、それだけ能力の高い人材が集まって、訓練を行っていたということだ。」


「もしや政府は、宗教問題だけではなく、オーブの持つ軍事力も弾圧したかったということか?」


「あぁ、恐らくな。……もし、昨夜の下手人がオーブの元家臣ならば、その実力も、人を殺さないのにも理由がつく。そして、それだけの実力を持った集団を野放しにするのは、かなり危険だ。しかし、これは政治が絡んでる問題だし、下手人を殺しても、組織の尻尾が掴めなくては意味が無い。」


「だから、お前はわざと下手人を取り逃したのか?」


「あぁ、今見逃して、下手人を手の内で泳がしといた方が後々良いと思ったからな。」


ディアッカは苦笑しながら軽いノリで参りましたという、降参のポーズで手を上げる。
イザークはアスランの話に納得しつつも、面白くないといった顔で無言のままだった。
そのとき、突然ひょっこりと開いた襖からまだ幼さが残る緑の髪をした少年が、顔を覗かす。


「アスランいます?」


「おぉ、ニコル。」


ニコルはディアッカとイザークとアスランの三人を見つめると、きょとんとした顔をした。


「あれ…?お取り込み中でした?」


「いや、大丈夫だ。……ニコル、何か俺に用事か?」


「あ、はい!先程、櫻舞屋の方から遣いの人が来て、カガリさんとかいう人の意識が戻ったということなんで、それをアスランに報告しようと。」


アスランはニコルの言葉に頷くと無言で立ち上がる。
すると、ディアッカは溜め息を吐いた。


「つまんねぇな。」


「は?」


座敷の上に寝転び出すディアッカに、アスランは視線を向ける。
ディアッカは仰向けに寝転びながら、欠伸をした。


「好きな子に会いに行くんだったら、もっと嬉しそうな顔しろよ。」


「え?好きな子ですか?」


「カガリちゃんを殺さなかったのは、相手がカガリちゃんだからだろ?」


イザークは馬鹿馬鹿しいと言った表情で、呆れたようにそのまま部屋を出た。
ニコルはきょとんと目を丸くして、その場で立ち尽くしている。


「……ディアッカ。何を勘違いしているのかわからないが、俺が殺さなかったのは、カガリの素性をもう少し調べたかっただけだ。もしかしたら、彼女も今回の件で一枚噛んでる可能性はある。」


「まぁ、そうかもな。」


「……やはりお前もそう思うか?」


「あぁ、可愛い女の子はその場に居るだけで罪な存在だよな。」


アスランは聞いた相手が間違ったなと、疲れた表情で溜め息を吐く。
そのままアスランが部屋から出ようとすると、ディアッカが「でもさー」ともう一度口を開いた。


「アスラン、それを抜きにしたって、カガリちゃんのこと好きだろ?」


一瞬、沈黙が流れる。
二人の視線は合わず、その間でニコルは状況についていけず首を傾げていた。
その完璧な無機質な静けさは、背後からじんじんと響く。
アスランの薄い唇は歪められ、沈黙を破るように口を開いた。


「馬鹿言うなよ。俺には許婚がいるんだから。」


そう言い残して、アスランは振り返りもせず静かに部屋を出た。
木造の廊下に、乾いた足音だけを遠くに響かして。























































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