六話 【事情】





線香は、秒を細かく切り刻むようにがじりじりと短くなる。
ここ遊郭では線香一本分が一回分の遊興時間であった。(現代だと約四十五分)


「線香、もう一本増やしますか?」

「あぁ。」


ミリアリアは布団から気だるい体を起こすと、近くにあった着物を肩に掛け、素肌を隠す。
線香を探すミリアリアの線の細い後ろ姿を、ディアッカは黙って見つめていた。


「そういえば、アスランさんって江戸に帰ったんですか?」


「え?アスラン?」


ミリアリアは頷くと、線香に蝋燭の火を近づける。


「アスランさんって、最近は全然ここに顔を出してないみたいですよ。あの一件以来見てないわ。」 


「あの一件って?」 


線香の先端が赤く燃えると、途端に灰となった部分が広がる。
ミリアリアは線香に向けて掌を煽りながら、ディアッカに顔を向けた。


「ほら、カガリが店を抜け出して、アスランさんが見つけてくれたことあったでしょ?次の日、一回顔を出したけどそれ以来ここには来てないみたいなの。」 


「……そうか。」


アスランが未だカガリの素性を疑っていることをディアッカは知っていたが、ディアッカは顔色を変えず、何も知らないような素振りで答えた。


「あいつは、真面目だからなぁ。まだ京都にいるけど、仕事のことで頭が一杯なんだろ。」 


ディアッカは、アスランのことを考えて苦笑を漏らす。 


「それは似た者同士ね。」


ミリアリアは布団に戻ると、ディアッカの腕に頭を乗せる。


「カガリもね、遊女という仕事にプライドを持ってるわ。だけど、たまに苦しくなるみたいで……たまに店を抜け出すことがあるの。今までも何度も逃げて、その度に捕まって連れ戻されてきたわ。」


「もしかして、この前アスランが連れ戻したときも?」


自分を見つめるディアッカに、ミリアリアは黙って頷く。


「えぇ……あなたも知ってるでしょ?遊女は、自分の意思で遊女という仕事を辞めることが出来ないから……だから、ここを逃げ出したい人はたくさんいるの。」


苦い顔で溜め息を漏らすディアッカに、ミリアリアは「本当はこんなこと、あなたに話すべきではないと思うんだけどね。」と申し訳なさそうに告げた。
そんなミリアリアに、ディアッカは優しい瞳で口元を緩ますと、ゆっくりと唇を白い頬に触れて「なぁ。」と囁く。


「もし、ミリィがこの仕事を辞めたくなったら、いつでも俺に言えよ。」


「え?」


きょとんと首を傾げるミリアリアに、ディアッカはふっと笑う。


「俺がいつでも身請けする。」


ミリアリアの瞳は揺れた。
ディアッカから視線を逸らすと、ミリアリアは自嘲気味の笑みを零して「馬鹿ね」と呟く。


「お遊びもこれまでよ。」


ミリアリアがそう告げると、視線の先には、灰になった線香。
ミリアリアが布団から出て着物に着替えると、その隣でディアッカも気だるい体を起こした。













「アスラン、入るぞ。」


閉め切った暗い奥の間で、アスランは本を読んでいた。


「こんなとこで読んでたら目悪くするぞ。」


ディアッカが苦笑すると、アスランは片手に持つ本をディアッカに渡す。


「これを読んでくれ。中々、興味深いことが書いてある。」


アスランに渡されたものは、埃まみれになっている古い文献だった。
ディアッカは不信そうにページを開くと、いたるところに染みがあり、字は滲んでいる。


「何だよ、これ。」


ディアッカは眉を顰めながら、アスランに訊ねる。


「江戸にいたとき、父上の部屋で見つけたものだ。面白そうだから持ってきたものだったが、やはり京に持ち込んでおいてよかった。」


何食わぬ顔でさらりと盗んだことを告げるアスランに、ディアッカは「おいおい」と慌てて声を掛ける。


「いいのかよ、そんなもん勝手に持ち出したりしてきて。」


「いいんだよ。」


きっぱりと冷淡な表情で告げるアスランに、やれやれ、とディアッカは肩を竦めた。
それから何かを思い出したかのように、「あっ!」と声を漏らす。


「そういえば、カガリちゃんの脱走した理由わかったぞ。」


「え?」


アスランは軽く目を見開いて、ディアッカを見つめると口を開いた。


「ちょうど今、監察係に調べてもらっていたところだったんだが、あっちは手こづってるようだった。それなのに何故お前が……。」


アスランが訝しげに見つめると、ディアッカはふっと口元を歪めて笑う。


「ミリィだよ。」


ディアッカはそう告げると、アスランの隣に腰を下ろした。
そうして「意外とお前って、不器用だねぇ。」と、ディアッカは楽しげに唇を吊り上げる。


「何でも卒無くこなすお前でも、女のこととなるとそうはいかねぇみたいだな。それとも好きな子にはいじめたくなるタイプか?」


自分をからかうように話すディアッカに、アスランはじろりと睨む。


「女のことなんて、ラクスのことで手一杯だよ。」


江戸に残してきた婚約者のことを思い出して、アスランは疲れた表情で溜め息を漏らした。
そして、もう一度アスランは表情を引き締めると、ディアッカに脱走の真意を訊ねる。


「……それで、カガリの脱走した理由は?」


ディアッカは「あぁ、それな」と口を開く。


「どうやらカガリちゃんが店から脱走したのは、今回だけのことじゃないらしい。たまに仕事が嫌になると逃げ出して、その度に捕まって連れ戻されたらしいぞ。」


ディアッカの説明に、アスランは難しい顔で眉を顰めた。


「ということは、オーブ派とは関係なく、ただ彼女個人の問題だったってことなのか?」


ディアッカは頷く。


「あぁ、カガリちゃんはきっと白だ。今回はお前の負けだよ、アスラン。」


じろりとアスランが睨むと、ディアッカはニヤニヤと笑っており、アスランは溜め息を吐いた。


「………厄介な女だ。それならそうと、何故最初から言わなかったんだ。」


悔しそうに呟くアスランの言葉をディアッカは静かに聞き、天井を見上げる。
そしてアスランに「なぁ。」と声を掛けた。


「知ってるか?カガリちゃんはな、お前が連れ戻した後に脱走の罪で、一晩中ずっと折檻に合ってたんだよ。」


その言葉に、アスランは軽く目を見張る。


「しかも肌に傷が残るとまずいからって、ひたすら水攻めだ。あの晩、カガリちゃんの悲鳴と泣き声がずっと響いて、聞こえなくなることはなかったそうだ……。」


アスランは眉間に皺を寄せて、険しい視線をディアッカに送る。


「わかってやれよ、カガリちゃんの気持ちを。折檻にあったことすら客のお前に隠し通した、遊女としての気高さを、さ。」


アスランは黙り込んで、ディアッカからゆっくりと視線を逸らした。
叶わない許し請いに、背中が切り裂けるような痛みを感じながら。












ちょうど、その頃。
墺歩屋の奥の間で、カガリは女将に呼ばれていた。


「あんたにええ知らせだよ。」


女将の嬉々として表情を、カガリは無言で見つめている。


「とうとうあんたも遊女は引退や。」


「え……。」


カガリは驚いたように目を見開いた。


「な……何故ですか?」


カガリが擦れた声を出すと、女将はカガリを喜ばそうと笑顔を見せる。


「あんたの身請け話が決まったんよ。相手は呉服屋のユウナはん。」


カガリは長い睫毛を伏せた。
こうして、アスランの知らないところでまた運命の歯車を動き出したのだった。
(神様の手の届かない場所でひっそりと)

















































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