古い蔵書の匂いが鼻をくすぐる。
埃っぽくて、チーズが腐ったみたいな匂い。

去年新しく改装されたビルのような校舎とは違い、図書館だけは歴史を感じさせる洋館のようなレンガ造りの建物だった。
放課後は利用者も少なく、最近のアスランとカガリはずっとここに入り浸っている。



誰に教えられたわけもなく、ずっとセックスは順序よくキスから始まって、ベッドの上でするものだと、カガリは思っていた。
それなのに図書館の扉が閉ざされる音と共に、無言のままカガリはアスランに唇を貪られてはショーツだけ脱がされ、それを片足に引っ掛かったまま、アスランの腕の中に閉じ込められる。
本棚に押しつけられた背中は、数冊の本を崩れ落ちていくのを、遠のいてく意識の向こうで聞いた。


「あ・・・アスラン・・・!」


キスの間に零れる、溜め息にも似たカガリの呼ぶ声に、アスランは耳も貸さない。
そのかわり手慣れた仕草で、片手にカガリの腰を抱きながら、空いた掌で自分のズボンのベルトを外していってしまう。


「だ…だめ……」 


カガリはそのまま行為に及ぼうとするアスランを制止するように呟いた。
アスランは、全速力で走ったあとのように息を切らして、なに?と甘く耳元で囁いてくる。
擽るような色っぽい低い声に、カガリは下半身がじわりと濡れてしまい、またされるがままに唇と唇を重ね合わせられてしまう。
唇を離すと、互いの額をくっつけながら、カガリの視界一杯に映されるのは深い海のようなエメラルドの瞳。


「もしかして……恥ずかしい?」


カガリは頬がカァっと熱くなるのを感じて俯いてしまうが、アスランがそれを許すわけもなく、カガリの顎をクイっと持ち上げる。
翡翠の瞳は意味あり気に細められると、艶やかに微笑んだ。


「こんなことで恥ずかしがってたら、先に進めないよ?」


カガリは目を見開くと、翡翠の瞳と目が合う。
アスランの言っている意味がわからないほど子供ではなかったが、それを軽く流せるほどカガリは大人でもなかった。
カガリはこの状況が耐えられず、ぎゅっと瞳を閉ざすと、それは無言のまま再開の合図となる。
アスランはキスをしながら、カガリの濡れた部分を指でまさぐり、そこは自分が思っていたより濡れていて、心の中でほくそ笑む。


「いやらしいな、カガリは……。」


なまぬるい息が耳に吹きかかり、カガリの体はビクリと震える。
その反応に気を良くしたアスランは、ひたすら何かに溺れるように骨ばった長い指を深く差し込んで行った。

カガリは、自分の中に潜入してくるそれを拒否したくてたまらないのに、それでももっと深い場所でその指を待ち望んでいる自分の隠された欲望があることに気付く。
こんな浅はかでみっともない欲望が、女である自分にも存在するということを知らずにいたカガリは、そんな自分を恥じる。

それでも、アスランの逞しい体に身を黙って預けるのは、そんな快感としての気持ちよさよりも、親に抱かされた子供のような安らぎが心の中で温かく灯ったからだった。
目の前の人は、自分を守ってくれるのだと、何の根拠もなく思えた。


アスランのゆっくりと動かす手が、次第に集中的に同じ部分を攻撃するようになると、カガリは不意に甘い息を漏れる。
甲高くて、子猫みたいなたどたどしい声。
その声に、アスランは無表情のままだったが、弓のように吊り上げた口元が少し嬉しそうに微笑んだようにカガリには見えた。


火照った頬はとろけそうで、カガリはとろんとした瞳をしながら、逞しいアスランの体をぼんやりと見つめてしまう。
すると、アスランの指の速さと共なってアスランの体も揺れ、胸元の開いたシャツからチラチラと普段は隠された逞しい胸元が伺えた。

ただそれだけなのに、見てはいけないものを見てしまったような気がして、カガリは恥ずかしさのあまりアスランの首元に顔を埋めてしまう。
普段は濃紺の長い髪が隠されたアスランのうなじは、彼の匂いが鼻をくすぐって、こそばゆい。


そうしてカガリはうっとりとした瞳で彼の存在感に安心し、何気なくうなじの少し横に目をやると、紅い痣なようなものがある。
何だろうと、朦朧とした意識の中その部分に触れると、カガリはカァっと顔が熱くなり、思わず指を引っ込めってしまった。
突然、この惰性した意識が冷めるように透明になっていき、あどけない少女は気付いてしまう。


それは自分以外の他の女の子が付けた、キスマークなのだと。



カガリの頭に浮かぶ、何故?とか、どうして?という、いくつもの言葉をアスランの揺れる手によって飲み込む。
心の中はまくし立てるように目の前の男を責めたくてたまらなかったが、しかしそうしてしまえば、自分の中でどろっとした醜い何かが溢れてしまいそうで怖かった。


出会う前から、アスランの噂は耳にしたことがあった。
クールに見えて、実は火遊びが激しいと。


しかし、あの頃は、そんな噂は気にならなかった。
まさに恋は盲目というけれど、知らない誰かが流した噂よりも、目の前の男を信じる方が正しいと思っていた。
しかし、実際はそんなに割り切れるほど大人でも無く、いつもどこか不安が影のようにつきまとっていた。

それでも、カガリはただ、失いたくなった。
自分を求めてくれるアスランを。



アスランは、急に声を上げなくなったカガリを不信に思い、じっと石のように立ち尽くしているカガリの顔を下から覗き込んだ。
頬は確かに火照っているし、体もきちんと反応している。
それなのに、カガリは泣くのを堪えるように眉を八の字に下げて、必死に唇を噛み締めていた。


「……どうした?」


アスランは、驚いた感情をなるべく表に出さないように冷静に訊ねてみると、カガリの瞳は傷付いたように揺れ動く。


「やっぱり……この先は怖いのか?」



アスランは思い当たることを、とりあえず口に出してみるが、カガリは無言のまま必死に顔を横に振った。
じゃあ、何故?とアスランは口に出そうとするが、そのときカガリの瞳から涙が零れ落ちるのを見た。


「あ……」


カガリは自分でも驚いたように、その涙を隠そうと顔を手で隠す。
それでもアスランは、カガリの手を壁に縫い付けると、そこには怯えた顔をして涙を流すカガリの顔があった。
アスランは一瞬言葉を失ったが、それでも絞り出すようにカガリに話し掛ける。


「何故泣いてる…?さっきまでは……」


あんなに気持ちよさそうだったじゃないか、とアスランは言おうとした最後の言葉だけ飲み込む。
何故カガリが泣いているかはわからないが、それは今言ってはいけないような気がしたのだ。


「な、何でもないから…・・・大丈夫だ。」 


カガリは溢れて止まらない涙を堪え、震えた声でアスランに向かい合う。
アスランはどうしていいかわからず、先程まであった熱く駆け巡る欲望もどこかへ逃げて行った。
アスランはカガリから手を離すと、ゆっくり距離を空けた。


「…アスラン?」


カガリは不安気にアスランを見つめると、アスランはその濡れた瞳から視線を逸らした。


「今日は、もう帰ろう。」


呆然と立ち尽くしているカガリの前で、アスランは自分の乱れたシャツだけを直すとそのままカガリに背中を向けた。
それを見たカガリは慌てて、アスランを引き止める。


「ま、待て!私は大丈夫だから!」


カガリはアスランの腕を掴み、彼の去っていく足を止めようとした。
しかし、その横顔を覗けば、不機嫌そうに眉を顰めているアスランがいる。


「もしかして……怒ったのか?」


私が泣いたから……とカガリは小さくぽつんと呟いた。
アスランはそんなカガリを上から見下ろすと、縋るように自分を見つめているカガリと目が合った。


「違う。」


アスランはやけに冷めた声で、即答する。
カガリはその返事に納得がいかず、アスランにもう一度詰め寄る。


「じゃあ、何……」


「……さめた。」


そう言い放つと、アスランは、カガリの手を振り払った。
驚愕で揺れる琥珀の瞳から視線を逸らすと、アスランは、その場から立ち去ってしまう。
泣いているカガリをその場に置き去りにしたままで。




カガリは呼び止める術も知らず、乱れた制服でその場に蹲った。





























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